ドタバタ、インド旅行記【第19話】一筋の光
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インドは、最低で、最低で×100、最高な国だった。これは人見知りがインドに行って人生が変わった話。
原田さんと僕は二人でJALに向かった。
JALに行けば、「エア・インディア」のことが何か分かるかもしれない。
「モンキーキックくん、JALはあそこにあるよ。」と原田さんは言った。
ニューデリーにあるJALの旅行者デスクは、「みずほ銀行の受付窓口」みたいに、建物が綺麗でクーラーがしっかり効いていて、まるで天国のような場所だった。
僕は、窓口にいるスーツを来たインド人に声をかけた。
「あの、、すみません。。」
「JALのことではなくて申し訳ないんですが、エア・インディアについて、何か知っていませんか?」
「僕が行った建物には、エア・インディアはもう既になかったんです。僕はリコンファームというものをしないと、帰りの便に乗れなくなってしまうんです。」
「そうでしたか、まぁその、お掛けください。」とそのスーツを来たインド人は僕と原田さんに対して言った。
丁寧な話し方で、日本語も話せる人だった。
「エア・インディアですか、、、ちょっと電話をして調べてみます。」とそのスーツを着たインド人は言った。
彼は、どこかに電話をかけながら、受話器を耳と肩で挟み、香辛料の入った紅茶「チャイ」を手際良く作って、僕らに提供してくれた。
ガイドブックによれば、
日本語で話しかけてくる外国人を信用しないこと、
それと、食べ物や飲み物は受け取らないように、と書かれている。
睡眠薬が、入っている可能性があるからだ。
けれど、僕と原田さんはそのチャイを飲むことにした。イギリス式の美しいティーカップに注がれた、スパイスの効いたその味は、とても優雅で上品だった。
「今、エア・インディアに電話をかけているんですけど、彼らはいつも電話に出ないんですよ。」とスーツを来たインド人は言った。
「お手数をお掛けしてすみません。」と僕は言った。
そのスーツを来たインド人が電話をしている最中、「僕の名前やパスポートの番号」などを聞かれた。
余談だが、僕はいつも、東急ハンズで買った「ハラマキ型のウエストポーチ」にパスポートと、この旅の全財産である現金10万円を入れていた。
ホテルには貴重品入れなどなかったし、あったとしても信用できないと思っていたからだ。(だから軟禁された時や、若者に囲まれてしまった時は本当にドキドキした。)
会話もせず、受付に座りながら、もうすでに冷めてしまったチャイにもう一度口を付けようとした時、
「完了しました。」とスーツを来たインド人は僕らに言った。
「え、、何がですか??」と僕は言った。
も、、
もしや、、この野郎!!
「悪徳ツアーにでも登録しやがったな!?」
おい、コラ!
そんなことしたら、タダじゃおかないからな!
そういうことなら、こっちにも考えがあるんだぞ!
と、僕は拳を前に突き出し、ファイティングポーズをとって、臨戦態勢に入った。
するとそんな僕に対して、
「リコンファームですよ。」とスーツを着たインド人はさらっと言った。
「え?」
何?どういうこと??
「今、エア・インディアの担当者と話がついて、モンキーキックさんのチケットの、リコンファームが完了しました。」とインド人のお兄さんは言った。
「えぇぇ!ありがとうございます!!」
けど、
けれども、、、
「それで、、お代はいくらでしょうか?」と僕は言った。
は、は、は、
は、は、は、
「お代は入りませんよ。」とスーツを着たインド人は言った。
「えぇ!?」
「いや、、でも、、こんなに美味しいチャイを頂いて、、手続きもしていただいて、、、」
それはダメですよ。
こんなに良くしてもらったのだから、
「せめて、チップだけでも受け取ってください」
と言って、僕はスーツを来たインド人の手のひらに、50ルピー札を無理やり渡そうとした。
「いや、困ります。」
「お気持ちだけで結構です。」と言って、そのインド人は断固として僕のチップを受け取らなかった。
そ、そんな、
「で、、でも、本当に助かりました。僕は今日一日中ずっとこの件で困っていたんです。」
「お役に立てて良かったです。でも、これが私の仕事ですから。」と、そのインド人は笑顔で言った。
爽やかなその笑顔は、映画俳優の「アーミル・カーン」か「ユアン・マクレガー」くらいにカッコ良かった。
ほ、本当に、、
「本当にありがとうございました。」と言って僕ら二人は席をたった。
僕はその帰り際に、50ルピー札を、イギリス式ティーカップのソーサーの下にそっと隠した。
(さぁ、、受けとれば良いーーサー!!そうさーー。。)
すると、そのインド人は
「いや、困りますよ。上司に怒られてしまうんで。」とまた笑顔で言って、その50ルピー札を僕に返却した。
かっ、、かっ、、かっ、、
完璧な対応だ。。泣
(You are the perfect human .)
僕は初めて、お金を本当に欲しがらないインド人に出会った。
隣にいた原田さんもいたく感動していた。
僕と原田さんは、JALの建物から出ても、JALの素晴らしいインド人スタッフの対応についての話題で持ちきりだった。
その当時、日本ではJALの経営破綻などが問題になっていたころだった。
実際、僕もJALを使わずに、エア・インディアを使ってインドに来た。
けれど、僕ら二人はここインドの地でJALのスタッフの対応に感動していた。
決して、何があっても、
どんなことが、これから起こったとしても、、
JALは未来永劫なくなってはいけない。
我が「JALと巨人軍」は永久に不滅です。
「そして僕ら二人は、JALのオフィシャルサポーターです!」
と、何の力もない学生と公務員内定者が道端で叫んだ。
街中の多くの人が、奇声を発する僕らを白い目で見ていた。
けれども僕ら二人は叫び続けた。
喉が枯れて、声が出なくなるまで、
今は無性に叫んでいたかった。
つづく。。。